【資料】被爆75年 核兵器をめぐるアメリカ世論の変化

被爆75年のこの夏は、核兵器や戦争被害をめぐって多くの報道がありました。なかでも、アメリカでの世論の変化が印象深く感じられました。

 谷口稜曄さんら長崎の被爆者への取材にもとづく『ナガサキの被爆者―核戦争後の人生』(みすず書房)を著したスーザン・サザードさんによるワシントンポストへの寄稿文など、アメリカ国内の言論や世論の変化をお伝えします。

【資料1】アメリカの日本への原爆投下は「必要なかった」との考えが増加
 2020年8月6日、ロサンゼルス・タイム誌
 戦後75周年の「広島平和記念日」にあわせ、歴史家ガー・アルペロビッツ氏とジョージ・メイソン大学のマーティン・シャーウィン教授の「アメリカの指導者たちは、戦争に勝つために日本に原爆を落とさなくてもいいことを知っていた」という論考を掲載した。
 二人の主要な論点は、「(1)原爆により早期に戦争を終わらせ、何十万人もの米国人、そして何百万人もの日本人の命を救ったとの主張は事実ではない、(2)アメリカと日本の公文書から得られた圧倒的多数の歴史的証拠からは、たとえ原爆が使用されなくとも日本は降伏していたと結論づけられる、(3)東郷外相は1945年7月、日本に代わって降伏条件を調停するためソ連に協力を求めようとしていた、(4)鈴木貫太郎首相は、1945年8月13日、「ソ連は満州、朝鮮、樺太だけでなく、北海道も占領するだろう。日本の基盤が破壊される前にアメリカと取引し、戦争を終わらせたい」と考えていた、(5)1945年、米国の8人の5つ星陸海軍将官のうち、アイゼンハワー、マッカーサー、ニミッツら7人は、原爆投下は軍事的にも必要なく、道徳的にも非難されるべき、と発言し記録されている」等々。従来の「原爆投下による戦争の早期終結への貢献」を否定し、1945年8月の日本の都市への核兵器使用について、率直に全国的な対話を行う絶好の機会である、と訴えている。      (共同、時事など)

【資料2】被爆から75年 アメリカ人約7割「核兵器は必要ない」
 8月3日、NHKTV「ニュースウオッチ9」
 NHK広島放送局は被爆から75年となることし、「平和に関する意識調査」として広島県、広島県以外の全国、それに、アメリカの18歳から34歳を対象に、インターネットでアンケート調査を実施。回答は3つのグループでそれぞれおよそ1000人、合わせて3000人余りから寄せられ、その意識や考え方の違いを比較しました。

 この中で、核弾頭の総数が世界でおよそ1万3400個と推計されている「核兵器」の必要性について、二者択一で聞いたところ、広島県と広島県以外の全国で同じ傾向となり、日本人のおよそ85%が「必要ない」と答えました。
 さらに、核兵器を保有するアメリカでも70%余りが「必要ない」と答えました。
 その理由としては、「多くの人が死傷する」という意見が最も多く、次いで「破壊的過ぎる」とか「ほかにも問題を解決する方法がある」といった、核兵器の威力の深刻さを懸念する考えが多く見られました。
 また、75年前にアメリカが原爆を投下したことについてアメリカ人に聞いたところ、「許されない」と答えた人は41.6%で、「必要な判断だった」と答えた31.3%を上回りました。
 調査方法が異なるため単純な比較はできませんが、5年前、戦後70年に合わせてアメリカの世論調査機関、「ピュー・リサーチセンター」が行った調査では、広島と長崎への原爆投下について、18歳から29歳のアメリカの若者の47%が「正当だった」と答えていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200803/k10012548651000.html

【資料3】スーザン・サザード ワシントンポスト紙への寄稿
 2020年8月7日のワシントンポスト(朝刊)に、『ナガサキ―核戦争後の人生』の著者、スーザン・サザードさんの寄稿文が掲載されました。その全文をご紹介します。

アメリカ人は原爆が日本の戦争を終わらせたと主張する
人々への犠牲に目を向けることなく
    スーザン・サザード
翻訳:宇治川 康江(継承する会会員)

 私は過去5年間、全米各地を巡り、自書(『ナガサキ‐核戦争後の人生』2015年発刊)で取り上げた1945年8月9日のアメリカによる長崎への原爆投下について講演を行ってきたが、聴衆からは私に向けて様々な言葉が発せられることもあった。時には怒号のような叫び声も含まれていた。しかし、『原爆が戦争を終わらせたのだ。原爆が連合軍による日本侵攻を阻止し、アメリカ人100万人の命を救った(数はまちまちだったが)。』あるいは『日本が戦争を長引かせ、いつまでも降伏しなかったから原爆を投下するしかなかったのだ』といった言葉を、もうこれ以上黙認するのは限界に近い。

 アメリカ人が憤るのも全くわからないではないが、彼らは、真珠湾攻撃、中国民間人への蛮行、連合軍捕虜への拷問や殺害など日本軍による残虐行為を指摘する。中には、『日本人は当然の報いを受けたのだ』とまで言う人たちもいる。原爆の犠牲者たちに何が起きたのかを説明することさえ、正当化できない謝罪に等しいことだと多くのアメリカ人が信じている。また、被爆者たちに焦点を当てるという私の行為そのものが、戦争末期の戦いに身をもって尽くしたアメリカ退役軍人たちを侮辱し、アメリカ軍が日本に侵攻していたら犠牲となっていたかもしれない兵士の命を蔑むことだと主張する人たちもいる。どのような反論であっても、多くの場合その口調は怒りに満ち攻撃的で、重要なのは、75年前の原爆投下は必要不可欠であったということで、長崎の人々のことではないという強い主張である。

 原爆の「必要性」を巡る議論において、アメリカ人の考えは何世代にもわたり凝り固まったまま柔軟性を見せず、その結果、人間にもたらされた影響を無視し、それを否定することさえ許してきた。当初、アメリカ政府高官は、情報を統制し主要な事実を歪曲し、原爆投下を重要且つ必要不可欠な軍事行動であるという印象を人々に植え付け、原爆による犠牲や影響を否定する政策を押し進めた。戦後、アメリカの指導者たちは、日本の新聞社による広島・長崎原爆に関する報道を検閲し、原爆による人体への影響を報じる自国メディアの報道を規制し、多量の放射線被爆により多くの人々が苦しみ、命を落としたことを否定した。

 1946年初頭、アメリカ上層部は、ある運動を考案することで、高まる原爆に対する国民の批判を静め、核兵器開発の推進に向け国民からの支持を得ようとした。元陸軍長官ヘンリー・スティムソンの長年の友人であったフェリックス・フランクファーター最高裁判事の言葉を借りれば、政府は原爆に反対する者たちの「いい加減な感情的行為」を封じ込める必要があった。1946年12月号の雑誌「アトランティック・マンスリー」の中で、マサチューセッツ工科大学の学長で高い評価を受けた物理学者でもあり原爆開発に貢献したカール・T・コンプトンは、アメリカ軍が仮に日本へ上陸していた場合の推定死傷者数を誇張して伝え、原爆の使用が唯一の理性的な決断だったと主張し、原爆投下後、わずか一日足らずで天皇が降伏の決断をしたことは、原爆が戦争を終わらせたことの証明であると結論付けた。

 原爆批判を封じ込める運動は、ヘンリー・スティムソンが書いた原爆使用の決断に関する論文によって最終段階を迎えた。この論文はコンプトンの主張をより誇張したもので、ハーパーズ誌1947年2月号に掲載されたが、内容は誤った記述に満ちていた。例えば、日本の降伏を早めるための解決策となる可能性を彼自身も認めていた無条件降伏規定の修正について、アメリカ首脳陣が原爆投下前に議論していたという事実が抜け落ちていた。また、1945年8月における最も重要な動きであるソビエト参戦にも触れていなかった。ソビエトが参戦すれば、日本は二つの前線で戦うことを余儀なくされ、連合軍の戦略は変更され、本土上陸なしで戦争が終結していたかもしれない。スティムソンは、自身が持つ軍事的な権威や戦略的論法により、道徳上正しかったという確信に支えられた他に類を見ない原爆使用の評価を確立した。その評価はアメリカ人の記憶や意識に根付いていき、他に何の説明や弁明も必要なくなったのである。それは、「原爆投下が戦争を終わらせ、百万人以上のアメリカ人の命を救った」というものだった。

 しかし、長崎原爆が日本の降伏を早めたという歴史的な証拠はない。長崎へ原爆攻撃が行われる11時間前、日本の首脳陣は、日本の占領下にあった満州へのソビエト軍の大規模侵攻により、既に混乱状態に陥っていたのである。きのこ雲が長崎上空に立ち上る中、既に彼らはどの条件の下で降伏すべきかの激論を交わしていた。会議記録によれば、二つ目の原爆投下の知らせが彼らの話し合いに明確な影響を与えることはなく、議論は昼夜にわたり続いたが、長崎についての言及はなかった。その夜遅く、天皇は降伏を承認し、膠着状態は解かれたのである。
 こうした点はあるものの、真の問題は、私たちアメリカ人が原爆の必要性を議論する際、より重大な論点への取組から自分たちを遠ざけてしまうことである。それは、「二つの原爆が日本の降伏に結びついていたとしても、おびただしい数の民間人を殺害し被爆させることは、‟正しかったのか?”」 「私たちの国が唱えてきた公式見解を容認し続けることにより、どんな影響があるのか?」 という論点である。

 長崎だけでも、最初の集計が可能となった1945年末までに74,000人が亡くなった。軍関係の犠牲者は150人だけだった。更に75,000人の民間人が負傷し被爆した。広島では140,000人が死亡した。彼らの死、傷害、被爆を正当化するのであれば、どこに限界線を引くべきか? 軍事的勝利のためには、私たちは厳密に何人までの民間人犠牲者をいとわないとするのか?
私たちは容認できるのか? 13歳の少年の顔面や体を故意に焼き尽くすことを。十代の少女が、ずたずたになった制服の名札でしか確認できない焼け焦げた9歳の弟と対面しなくてはならないことを。爆風ではやられなかった12歳の少女が、一か月後に発熱、歯茎の出血、抜毛、全身に現れた紫斑と共に病に倒れ、一週間もだえ苦しみ亡くなることを。更に多くの人々が、これまで誰一人も浴びたことのない大量放射線に曝され、苦痛にあえぎながら同じように息絶えていくことを。

 勝利のためには正しいことだとするのか? 身重で被爆した女性たちが、流産、死産、乳児死亡という辛い体験を背負わされ、無事に生まれてきた多くの子供たちが後に身体・知的障害を発症したことを。自らも怪我や病気に見舞われながらも、焼け焦げた人骨が散らばる廃墟に建つ掘立小屋で何年もの間、怪我を負い、被爆し、息絶え絶えの愛する家族を世話しなければならなかったことを。原爆投下から3年後、癌の発症率が急増し、1950年代初めには、多くの被爆者が肝臓、内分泌、血液、皮膚の病気、さらには中枢神経の損傷に見舞われたことを。
 戦後30年経っても高い癌の発症率は続いていた。今日でも、被爆者を両親や祖父母のいずれかに持つ人々に対する遺伝的影響が調査されているという事実は、放射線が人体に及ぼす油断ならない性質について、まだ知らないことだらけだということに気付かされる。

 私は太平洋上で戦ったアメリカ軍関係者の死を悼むと共に、あれ以上多くのアメリカ軍、連合軍の兵士が犠牲になるようなことなど望むべくもない。国が戦争に携わる場合、当然、私たちは道徳的義務感から、常にできる限り多くの自国兵士の命を守ろうとする。また何としても、民間人が被害を受けたり死亡したりすることを阻止する責任がある。これらは基本的な、そして時に苦痛を伴う、広く合意されている戦争倫理である。

 原爆の「必要性」を主張することにより、私たちは多数の民間人を故意に殺害し損傷を負わすという非道徳行為の認識を怠ってしまう。日本への核兵器使用を必要不可欠だったと見なす時、私たちは歴史に背を向けてしまう。私たちは、敵と呼ぶ国の都市に降りかかる運命を推し量ろうとするとき、自分たちに心地よい距離感や、時に道徳的な優越感さえ持ち続けることを良しとしてしまう。そして現在、地球上に13,000基以上の(日本に投下された原爆をはるかに超える破壊力を持つ)核兵器が存在する状況を普通のことのように許容し、この想像を絶する恐怖と破壊をもたらす手段を暗黙の内に認めてしまっている。今こそ、核兵器によって何がもたらされるのかにしっかり向き合わなくてはならない。被爆者は、正にこのことを私たちに教えてくれる。私たちが彼らの声に耳を傾けようとするならば。

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