《紹介》「炎のメモワール」公式サイト

昨年10月に亡くなられた小野英子さん(元正会員)は、母・山本信子さんが広島被爆の2年後に英文で書き残した被爆体験記「炎のメモワール」(原題:「THE ATOMIC BOMB IN HIROSHIMA」)を多くの人々に読んでいただけるよう、日本語に翻訳して遺されました。

 このほど公式サイトを開設されたご遺族からの依頼を受けて、継承する会が横田和彦さん、漆原牧久さん、Scott Kouchiさんのご協力により原文(英文)の校閲を行いました。リニューアルされたホームページで、日英両文を読むことができます。

https://honoo-no-memoir.themedia.jp/

 小野英子さんは、母・山本信子さんが英文で「炎のメモワール」を書き残した事情を次のように記しておられます。(2018年5月)

 「信子は、1906年(明治39年)、日系移民二世として、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市パウワヒ街に生まれました。アメリカ国籍を持ち、現地の学校に通って英語で教育を受けましたが、13歳のときに日本に帰って広島に住み、英語教師となるべく勉学に励みました。そして、同じように英語教師を目指していた山本信雄にめぐりあい、結婚。信雄は旧制県立広島第二中学校(広島二中)の、信子は旧制広島市立女学校(市女)の英語教師として働き、私の姉・洋子と私・英子の親となりました。

 1945年8月6日、広島に一発の原子爆弾が投下され、爆心地近くで二中の1年生321人と共に建物疎開の作業に従事していた信雄は、全身に火傷を負って、その日のうちに死亡。洋子は観音国民学校の校庭で被爆し、2日後の8月8日朝、郊外の救護所で死亡しました。

 原爆投下2年後という、まだ心が血を噴いているような状態の中で、なぜ信子はこの手記を書いたのか。それは、世界の人々に原爆の悲惨さを知ってもらいたいという願いからでした。手記はアメリカの『TIME』誌宛てに送付されましたが、GHQの検閲にかかって没収され、願いはかないませんでした。」

 信子さんは70歳のときに甲状腺がんで亡くなりました。遺品の中に手記を発見した英子さんは、日本語に訳して1982年に出版(『炎のメモワール』汐文社)。その後長く絶版になっていましたが、2018年夏、有志の協力で小冊子として刊行されました。

 このWebページは、英子さん亡きあと、ご遺族により公開されたものです。

 国内外のお知り合いにも紹介するなど、ぜひ多くのみなさんに読んでいただけるよう、ご協力ください。

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