【つなぐPJ】(東京)2/24(日) ミニ企画⑧「被爆者のお茶と茶話会」 に参加して〜生き残る罪悪感と伝え残す使命感〜

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こんにちは、つなぐPJのしのです!

四ツ谷で開催された「被爆者のお話と茶話会」に参加しました。大岩さん(当時13歳、爆心地から約2.5kmで被爆)からお話をお聞きしました。

20代から60代まで、幅広い年齢・職業の方8名が参加しました。

 

■企画

日時:2019年2月24日(日)

語り部:大岩孝平(おおいわこうへいさん)86歳

参加者:8名

 

■参加者

①Nさん(29歳)平和活動がライフワーク。

②Kさん(20代)家庭教師。「父と暮らせば」を読んで原爆に関心を持った。

③Mさん(50代)原爆というのものがどうだったのかが自分の中でテーマ。

④Yさん(45歳)ハンセン病棟での仕事に従事する看護師。福島含めて原爆症が気になり今後勉強したい。

⑤Mさん(25歳)祖母が被爆者で原爆手帳を持っている。

⑥Aさん(61歳)市の憲法啓発事業に従事。

島村さん(50代)継承する会事務局。

しの(28歳)広島被爆三世。継承活動がライフワーク。

 

 

大岩さんと被爆体験:

 

大岩さんは13歳の時に被爆。学徒動員で爆心地付近で作業する予定が、当日は急な腹痛に襲われ、爆心地から2.5kmにある実家の縁側で休んでいる時に被爆。

幸い小高い山の陰になり大きな怪我はせず家族も無事だったものの、大切な友人を失い、自身もその後原爆症で苦しみました。

心に大きな傷を抱え、長く語ることのなかった被爆体験も人々の記憶から消えまた同じように苦しむ人を見たくないという一心で自身の被爆体験を語ることを決意。以来約20年、被爆体験を語り続けています。

 

「話ができる人はかつて沢山いましたが、今では当時を語れるのは私が最年長くらいです。

私より10歳下だと76歳、3歳被爆。そうするともう正確な記憶がないんです。お母さんがわざと死体を見せないように逃げたりして。私が正確なことを伝えられる最後の世代だと思っています。

だから私の話を根掘り葉掘り聞いて語り伝えてもらいたい。」

という言葉で始まったお話には彼の強い使命感が現れていました。

 

大岩さんのお話の詳細はコチラ

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Q&A:

大岩さんの希望は「私の話を根掘り葉掘り聞いて次世代に残すこと」。

その言葉通り、会場からは積極的に疑問が飛び出します。

 

 

Q.医療の面から原爆について知りたいと思いました。

A.放射線の被害についてはまだわからないことがいっぱいある。厚労省が一旦指針を出しています。

ガンと白血病が主。あとは副甲状腺の機能低下。爆心地から3.5kmにいた人、入市被ばくで2km以内にいた人。でもそれどころじゃない。

同じ症状でも裁判に勝った人じゃないと認められない現状があります。

裁判に勝った人ならいいが、80歳を超えて体力・財力・記憶が欠けている人、家族の反対がある人は難しい。

裁判に勝たなければ泣き寝入りという非常に不公平なことが生まれています。

だから私たちは一定の症状についてガンと同じように認めるように厚生労働大臣に提出していますが、大臣は「今はお答えできません」とメモを読んで答えるだけ。

風上風下・地形で症状の違いもあるのに、裁判では一律爆心地から3.5kmとしか認められていない。非常に不合理が生まれています。

 

 

Q.自分が学校に行かなくて、行った友達が亡くなったことが心に重く残っている。そういう重く残っていることが、語るということに当たってどういう影響を与えたましか。

A.被爆体験を語り始めたのは30年くらい経ってからです。まず被爆者同士では原爆の話をしません。思い出したくないから。

被爆当時のことを思い出すと足がすくむので、原爆の碑にも近づきたくない。

仲の良い子が2人ましたが、二人とも帰って来ませんでした。

そのうちの1人は同い年なのに自分を兄貴のようにしたっていました。

原爆当日から2-3ヶ月経って帰ってこないからってことで線香を上げに行ったとき、その子のお母さんが家の軒先から飛び出して来て足にすがって泣くんです。私も一緒に泣きました。

 

もう1人は仲が良すぎて喧嘩をよくしてました。当時は殴り合いの喧嘩ですよ、でもすぐにけろっと仲直りするんです。

彼とは喧嘩をして、そしてあの日に亡くなってしまったので結局仲直りできないままになってしまいました。

私もあの世に行ったら会って仲直りしたいと思います。

 

こういうわけで原爆のことを思い出したくないので言わなかった。

40過ぎて上司に聞かれた時に初めて被爆したことを人に語り、定年過ぎてから語り部に誘われ今のように語り始めました。

とは言っても最初は話ができない。言葉が詰まって涙が出てくるんです。

「こういうことが二度と起こってはいけない、誰にもこういうことを味あわしちゃいかん」

という気持ちで語っています。被爆者はみんなそう思って語っていると思います。

 

 

Q.原爆の記憶は若い人になるにつれて記憶が薄れているような気がしますが、東京にいると感じるだけでしょうか?

この質問には広島出身の若い参加者がコメントしました。

「広島にいてもかなり薄れているように感じます。忘れさせようという力が働いているというか」

大岩さんはからは、

「原爆が恐ろしいということを忘れさせないように原爆資料館に被爆人形を置いていたのに、それを撤去するというのがね、、、」

 

 

Q.これから若者が何ができると思いますか?

A.まず忘れないでほしい。私が子供の頃に明治時代の日露戦争や日清戦争の話を聞きました。

これは昔話ではない、世界中に5〜6千発あるし、今のは100万単位で人を殺します。

今はさらに核兵器を拡大させている時代だという認識をし、それを語り伝える役割を果たしてほしい。

被爆者に色んな人がいる。

直爆、入市、私のように山の陰で焼けなかった人、もっとひどい目にあった人…

いろんな話を聞いてこの人の話を伝えようと思う人が出てくれないかなと思います。

今は三鷹市のデジタル平和資料館で被爆証言を載せています。

我々の願いは「二度と世界中のどこにも被爆者を作るな」ということ。

残念ねがら福島で原発被害が出てしまいましたが。

安倍さんは海外に持ってって売ろうとしているけど、売った先で事故が起きたらどうするのかなと思います。

二度と被害を起こさないようにしたいです。

大岩さんのコメントを受けて若い世代からは、

「被爆者さんから直接伺って次世代に伝えていくのが大切。日本語だけでなく、さらに他の言語で発信していくことも大切だと思います。」

「広島、長崎に比べたら、東京の人はさらに薄れていると思う。そうなると関東の人にどう伝えていくか。そういうものに関心が向くのは余裕がある人。生活も「考えること」も若者の貧困世代には難しい。だからこそ余裕のある人に伝えていくことが大切。そしてみんなが持っているデジタルデバイスで手軽にアクセスできるようにしていける努力とそれやっていける仲間を集めることが必要だと思う。」

 

大岩:仲間を増やすことは本当に大切だと思う。広島出身の人が10人くらいの仲間を集めて熱心に話を聞いてくれたことに関心した。そして自分の思うことに賛同して一緒にできる仲間が増えるということは大切。

 

「発信して多言語にしていくことの大切さは私も思う。落とした側のアメリカをはじめ、世界に伝えることで影響があると思う。」

 

Q.当時の大岩さんは戦争に対してどう思ってました?

A.自分の学校は済美学校と呼ばれていました。陸軍の学校だったから。

自分は軍国少年だったから、早く将校になって戦争に行って活躍するんだって思っていたね。私の周囲は軍人ばっかりだから。

陸軍幼年学校から陸軍大学に行くというのが自分のルートだと思っていました。

 

Q.日本が戦争に負けたと知った時の気持ちはどうでしたか?

A.敗戦を知ったのは一週間経ってからです。電気が来ないし、新聞も来ないから。

日本が負けるというとは一切思ってないんだから。お袋が日本負けたらしいよって。信じれませんでしたね。

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最後に大岩さんから参加者のみなさんへ、

 

「学校で被爆体験を話すときはできるだけ父兄を呼んでくださいと呼びかけています。そしたらお母さんたちも聞いてるから意見の出し合いができていいと思ってます。

 

原爆を語るには戦争について語らなければいけない。赤紙一枚でお父さんかお兄さんが徴兵で連れていかれる。生活の柱がいなくなると収入がなくなる。徴兵で家族を連れてったからと行って国は生活の面倒を見てくれない。自分の周辺の生活環境がガラッと変わってしまうんです。それを身近なことだと考えるとなぜ戦争をしてはいけないのかをもっと感じられると思います。人ごとじゃないんだこれは。

その後その家庭がどうなったかなどは語られない。語ると非国民と言われます。

うちはピアノがあったが鍵をかけました。こんな音鳴らしたら非国民と言われるぞ。という父。当時非国民という言葉がよく流行りました。

いい戦争なんてない。

戦争で幸せになることなんてまずない。

軍需工場が儲かるだけです。

 

核兵器というのは使ってはいけないし、作ってもいけない。

実際に原爆に遭って語れる人はもうあまりいません。

もう話をできる人がいなくなってしまうと、みなさんの記憶からもどんどん消えていく。それが恐ろしい。

みなさんの口で語って、核兵器をなくす運動に結びつけてほしいと思います。」

 

■この会に参加して

大岩さんは過去のことが人々の記憶から消え、また同じことを繰り返してしまうことを恐れ、つらい記憶を伝えてくださいました。

私達も改めて今私達が置かれている状況を改めて見ると、決して人ごととは言えませんね。

このレポートを読んだ方の中にも少しでもこれからのアクションへ繋げていくヒントになれば嬉しいと思います。

大岩さんがおっしゃった通り、生の戦争体験を聞ける時間はあと少しです。まずは身近な方のお話から聞いて見てはいかがでしょうか。

 

お話いただいた大岩さん、ありがとうございました!

 

 

しの(継承活動に取り組む人々をつなぐPJ)

 

*全国各地にて継承活動に取り組む方々を当会が取材し、上記のWebサイトにてインタビューやレポート記事の形式で掲載していくプロジェクトです。ライターとして協力いただけるボランティア募集中。 これまでの取材記事、ボランティアの募集要項はこちら

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