【つなぐPJ】伝承者・沖西慶子さん “人から人へ”継ぐ思い

 

私が沖西さんと出会ったのは、年初の長崎取材でのことだ。その際、同じ「伝承者」としてお話させて頂いたのだが、活動への姿勢、そして魅力的なお人柄に触れ、もっといろんなお話を聞きたいと強く思っていた。今回、平和記念式典に合わせ広島へ取材に行くことが決まり、その機会を持つことが叶った。

沖西さんは、お母様が長崎の被爆者である被爆二世。2013年から広島、2016年から長崎の育成講座を受講され、現在両県の伝承者として活動される唯一の方だ。継承活動を始めたきっかけから今後への想いまで、1つ1つの質問に、丁寧にお答え頂いた。

沖西さん

 

■継承活動に関心を持ったきっかけ

小学5年生まで長崎で過ごし、平和教育も受けてきたが「原爆=怖いもの」という意識が強く、避けて生きてきました。なので、被爆二世ということを意識することもあまりありませんでした。

2008年に甲状腺の病気が見つかり「家族を呼んでください」ということになりました。母と共に主治医の元に行き、診断を聞いたあと、母が「私が被爆者だから、この病気になったんですか」と質問しました。私は「そんな昔の話を今持ち出して…」と思っていたのに、主治医からは「絶対とは言えませんが、その可能性は高いです」という返事で。そんな答えが来るとは思ってもいなかったのでショックだったし、母も同じようにすごく気落ちしていました。そんな母に「(沖西さんの病気は)被爆の影響じゃなかった」と伝えるために、まずは自分が放射線の影響について学ぼうと、広島大学で行われていた公開講座を受けることにしたのです。そこで、原爆の放射線が被爆者に与えた影響の大きさを知りました。この出来事をきっかけに、自分が「被爆二世である」ということを強く意識するようになりました。

 

■伝承者に応募した理由

たまたま置いてあった伝承者募集の案内を見て「放射線については学んでいるけれど、原爆についてはきちんと知らないな」と思って。また、入院中に吉田(敬三)さんという、被爆二世を撮り続けているカメラマンについて、テレビのドキュメンタリーで知ったのも大きかったです。吉田さんが番組の中で「被爆二世に(被写体になってほしいと)依頼しても、10人中9人は断る」と仰っていたのです。被爆二世ということが分かると、差別を受けるかもしれないからと。私はこれまで長崎・広島と暮らし、差別を受けたことはありませんでした。被爆二世であることを明かすことに問題のない私が、被爆者の体験を語り継いでいかなければならないのではないかと。

伝承者講座に行くようになって、被爆体験は「百人百様」ということを実感し、母の体験も形にして残したほうが良いと思うようになりました。証言の登録をすすめ、そこで初めて母の体験をきちんと聞くことができました。

 

■伝承者として証言する上で大切にしていること

伝承を始めた時に1番に思ったのは「変えないこと」。事実を正確に、装飾をしないこと。(被爆体験の)そのままを残したいという気持ちがあるので、あえて自分の意見はほとんど入れていません。淡々と時系列に並べています。体験した方の話がそのまま残っていくのが、1番いいのではないかと思っています。講和の中で用いる言葉も、被爆者の方のご希望を尊重しています。

また、伝承者は“通訳”のようなものじゃないかと思っています。被爆者と体験をしていない人々との間に、少なからずギャップがあるのは事実です。そのギャップを、言葉を用いて埋めていくことで、被爆体験や被爆者の想いを正確に伝えていく。そんな“橋渡し”の役割が果たせるようにと思っています。

 

■“非被爆者”が話すということについて

「非被爆者だから」と自分を卑下することは全くないと思っています。被爆者の話を聞き「正確に伝えていこう」という思いや意識があれば、(当事者じゃないと)語ってはいけない、語れないということはないと思います。幸いにも、今、私たちは被爆者の方々と直接話して、確認を取ることができます。了承を得て作り上げた講話であれば「自分が話していいのか」などと思う必要はないと考えています。被爆体験を伝承される方には、自信と責任を持って話をして頂きたいと思っています。

 

■これからの活動について

広島と長崎とで、一緒に何かやれないかと強く思っています。被爆者の方が少なくなってくる中で、自ずと被爆体験を聴く機会も少なくなってきます。少しずつ進んでいく風化を食い止めていくために、

体験を聞く機会は1回でも多いほうがいい。広島・長崎が、2つの被爆地として共に協力しあい、大きな力となって講話などの頻度を増やせば、より多くの人の耳に届きやすいはずです。連携して、影響力や発信力を高めていけたらと思います。

 

■読者へのメッセージ

例えば8月6日、8月9日というように、限られた時だけでも構わないので、自分のルーツについて考えてみてほしいと思います。戦争は日本の歴史の一部であり、自分のルーツとなる人たちに大小はあれ、何らかの影響を与えているはずなのです。それに気付くと、今まで遠かった戦争が、そして戦争がもたらした原爆投下という出来事が、自分のルーツと重なり、身近に感じることが出来ると思います。原爆は「特別な体験」ですが、それを日常的に聴いたり、知ったり出来る機会が増えていくことを願っています。

 

 

継承活動に取り組む“非被爆者”の方に話を聞く時はいつも「経験していないことを話すことについて、どう思いますか」という質問をしている。私も東京で伝承者として活動しているが、いまだに「自身の立ち位置」について悩むことが多いからだ。「被爆者にしか話せるものではない」「伝承者を育成するより、被爆者の講話を動画に残すほうがよい」そんな声も度々耳にする。

では、なぜ「人から人」への伝承が行われているのか。今回沖西さんと話をする中で、伝承者育成の過程で発生する、被爆者と非被爆者の共同作業に大きな意味があるのではないかと思った。沖西さんの言葉を借りれば、非被爆者が被爆者の「通訳(伝承者)」となるまでに、何度も何度も聞き取りを行う。「正確に伝えよう」「ニュアンスまで汲み取ろう」「一番伝えたいことは何だろう」そんな想いを抱きながら、被爆者と共に講話を作り上げる。その中で、体験だけでない、被爆者の人と成りも知っていく。この過程を踏んで語られる伝承者の講話には、手記や動画だけでは伝えきれない被爆者の姿があるのではないかと思った。

被爆者の高齢化に伴い、上記したような共同作業が減少する、できなくなることは避けられない。だからこそ、これから伝承者として活動する傍ら、被爆者の方々の話を聞く、意見を交わす、そんな機会を多く持っていきたいと思う。

中尾(継承活動に取り組む人々をつなぐPJ)

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