【つなぐPJ】(東京)2/18(土) 被爆者と区民の交流セミナーを取材して 〜「71年を超えてヒロシマ・ナガサキから」〜

こんにちは、つなぐPJのしのです!

今回は杉並光友会主催の被爆者と区民の交流セミナーを取材しました。題して「71年を超えてヒロシマ・ナガサキから」。

13歳の時に被爆を体験した立野さん、そして原爆の受けた祖母を持つ被爆3世の岡山さん。大きく世代の離れた2人が原爆に持つ視点は一体どんなものなのでしょう…?

 

 

28回被爆者と区民の交流セミナーヒロシマ・ナガサキから70年を越えて

開催日:平成29年2月18日(土曜日)開催時間:午後1時30分から午後4時まで(開場時間 午後1時)開催場所:高円寺障害者交流館
被爆証言 立野季子 演題「未来を生きる皆様へ」講演 岡山史興 演題「三世が被爆体験を継承する」

 

 

 

■原田会長挨拶

挨拶をする原田会長

挨拶をする原田会長

 

杉並にいた被爆者は700人を超えていましたが今では300を切りました。私自身も81歳になりました。

と挨拶をされ、被爆証言をされる立野さんへマイクを譲りました。

会を進める呑田さん

会を進める呑田さん

 

■被爆証言 立野季子 演題「未来を生きる皆様へ」

 すぎなみ3

私は当時13歳、長崎で被爆しました。

日本舞踊のお師匠として活動し、長崎のおくんち祭で踊っています。

ゲストティチャーとして学校訪問したときはシャカシャカと鉛筆の走る音が印象深い。子どもの未来につないでいくという言葉に安心する。

と軽い前置きをして被爆証言が始まりました。

 

 

小学校3年で大東亜戦争開始。長崎にも空襲が始まりました。

終戦の年、私は女学生1年生でした。寝るときも着の身着のままなのは、すぐ逃げられるようにです。

 

8月9日当日、いつもより空襲警報が早く解除されました。

外に出て空き地に防空壕を掘り始めた時に

 

ピカッ

 

熱風で壕内に吹き飛ばされ気絶しました。

 

中華屋のおじさんが「立野に爆弾が落ちた!」と立野さんに伝え

家にいた全員が死んだと思って、その瞬間孤児になったと思い

「うちば捨てんでえ」と泣きじゃくりました。

高尾病院の防空壕に行ってみると家族がいて涙が溢れ出しました。しかし家は大きく傾いていて、大事なもの大切なものは何一つ持ち出せず火に追われて逃げました。家は焼け落ち、怒り、悔しさから一家で泣いたことを覚えています。

 

「飯を取りに来—い」

被爆してすぐ、メガホンで叫ぶ声が聞こえます。

イチジクの葉で包んだおにぎりが支給されましたが私は熱風で火傷していて食べられなかった。

 

トタンや焼けたもので風雨をしのげる掘っ建て小屋を作ってそこで暮らし始めました。川辺でそこに水道があったから。

すぐに河原で人を荼毘に伏すようになりました。腐臭、人を焼く臭いは想像を絶します。

夜になると川辺に遺体を持ってきて焼くんです。

「○○ちゃん、〇〇ちゃん」と呼ぶ声。

朝になるとお茶缶か何かにカランカランと骨を入れる音がまた恐怖感を煽ります。毎日恐怖が身に染みるようでした。

蛆を落とす人、運ばれる死体、毎日悲惨な光景が目の前で繰り広げられますが、それでも生きていなければならなかったのです。

 

6日後、玉音放送を聞きました。

憲兵の中には「まだ戦争は終わってないぞ」とメガホンで叫びながら走っていく人もありました。

戦争は終わっても状況は終わっていません。傷ついてジリジリと死を待つ人々はまだ野晒しにされていました。

 

長崎から三重に疎開しました。その道中にも苦しみながら死んんでいった人々がいます。

疎開先でもその後、指先に集中してイボが泡が重なるようにできました。死臭がいつまでも残るようで、毎日ゴシゴシ身体を洗いました。

 

原爆の被害は娘にも及びました。

 

「被爆者の娘に息子はやれません」と結婚を断られたんです。

涙を拭う立野さん

涙を拭う立野さん

 

受けた被爆は消せません。

こんなことが2度とないように願います。

 

…ここまで話して立野さんはマイクを置きました。最初のうちは淡々と話していた被爆証言でしたが、娘さんの話では涙を浮かべ非常に辛そうでした。きっと立野さんにとっての理不尽な罪悪感が彼女を苦しめ続けているのでしょう。

ちょうど休憩になったので立野さんにお話を伺いました。

 

 

———娘さんのことを教えてください。

 

娘が黙って二階に上がって、後を追うと泣いているんです。

しばらく口を開かなかったけど、聞いてみると結婚を断られたって泣いてた。私も床に頭を擦り付けて謝った。

「ママのせいじゃないよ」と娘は言ってくれるけど申し訳なかった。

 

 

当時は被爆の毒が人に移る、奇形児が生まれると風評があったためにこんな悲劇も多くありました。これも私たちが知っておくべきことの1つだと思います。

 

 

■講演 岡山史興 演題「三世が被爆体験を継承する」

岡山さん

岡山さん

 

私は被爆3世、祖母が長崎の被爆者です。

高校生のころから原爆に関わる活動を始めました。

*高校生署名1万人活動→高校生の声を国連に届ける活動。1年目に、高校生・大人併せて3万人を達成。

 

*知らないことの意味

ある時街頭で署名運動をしているとある被爆者が「意味ないから。そもそも被爆してない君に何がわかる。」という言葉を投げました。

その言葉に傷ついた当時のメンバーもいます。

青臭いとか、知らないくせに、理想だ、なんて批判もありました。

でも、僕は同じように祖母の顔を知りません。私の祖母は生まれる2年前に亡くなって、命日と父の誕生日が一緒です。そんな父は誕生日を祝わない理由を知ったのは、平和活動を始めた後でした。それは、知らないことにも意味があることを考えさせられるきっかけになりました。

 

*3つの転機

—ネバダでの出会い

核実験場。2003年3月イラク戦争が始まるタイミング。

現地の核実験被害者の方とのと会話で、核実験を実施するタイミングについて聞いたことが強く心に残っています。

 

現地の方の話によると、核実験が行われるとき政府は

「今日は外で花火が上がるから見るといいよ」

「砂漠なのに雪が降るよ」

などと言い、住民が放射能を浴びやすい環境をつくって、影響を調査しようとしていたのだといいます。さらに金持ちが住むラスベガスに風が吹いているときは実験を行わず、貧しいユタに風が吹いているときにするのだ、とも。

事実でないことも含まれているのかもしれません。しかし、このときの話は、核の問題は広島・長崎だけではないというショックを私に与えました。。

 

—シンガポールでの出会い

19歳のとき、日本の若手活動家の代表としてピースボートに乗ったときの話です。

「原爆は落ちてよかった。日本軍がここで何をしたか知っているのか?母親から赤子を取り上げ銃剣で突き刺すような遊びをしていた。」

現地の人にそんな話を聞き、日本人がやってきたことも考える必要があると知りました。

 

—つくばでの出会い

そんな活動の話を大学で進学したつくばの友人にすると、「何かすごいね」って反応が返ってくる。つまりは他人事でした。

バックグラウンドが異なっても伝わる平和活動を、ということから「アイラブキャンペーン」を実施しました。

大切なものがあることが平和の一歩。失われて困るものがあることに気づいてもらうことから始めることにしました。

 

*社会人になってから

平和を上手に伝えている人が少ない。というところからPR会社に就職して、2年後、ナガサキ・アーカイブを始めました。それは現在取り組んでいる、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の活動にもつながっています。

 

*平和が仕事になる時代

このパートで岡山さんはこんな話をしていました。

・オリジナルなものに価値がある

・今の時代に最適な形で世の中に届けていくことが必要とされている

・クラウドファンディング、NPO…人の支援さえあれば仕事になる。2014年、会社を立ち上げました。

 

最終的には平和という言葉を使わなくても適切な判断ができていくような時代にしていきたいです。

 

 

■質疑応答

すぎなみ6

 

Q. 平和が仕事になるとは?

A. 岡山:クラウドファンディングで170万集めた。それは活動の価値に対するの対価。

 

Q. 差別について(視覚障がい者の方から)。

A. 立野:10本の指にイボができた。三重で「鬼娘」と呼ばれていた。娘が2人とも結婚しないで50代になっている。

岡山:そう言った意味では若い人の方が物知りです。上の世代の人は古い刷り込みがありますが、今の時代は情報がフラットに入ってくるから。

 

Q. 平和とは?

A. 立野:核のない時代。平和は本当に脆いものです。戦争は絶対にしてはいけない。女子供が我慢するんです。

岡山:理不尽のないことです。

 

被爆者の立野さんは娘さん2人と一緒に苦しんだ足跡を一所懸命語っていただいたことに感謝します。そして岡山さんは同じ3世として非常に新しい切り口を持っていると目から鱗な情報が目白押しでした。こういった若い力が人々の記憶を伝え、必要なところへ届くように時代に合った形で発展することに力を入れたいと改めて考えさせられました。

しの(継承活動に取り組み人々をつなぐプロジェクト)

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