【つなぐPJ】(長崎) 長崎でつなぐ被爆体験 三根礼華さんに聞く

今回は長崎で被爆体験の継承活動を行っている三根礼華さんを取材した。長崎出身・在住の三根さんは、現在29歳。ご家族に被爆者をもつ被爆三世だ。観光客などに原爆資料館や被爆遺構を案内する平和案内人※1として、また、23歳の時に被爆した自身のおばあさまの体験を引き継ぐ家族証言者※2として活動されている。血のつながりはあるものの、“非被爆者”である彼女が活動を始めたきっかけはなんだったのだろうか。そして活動する中での気付きや想いについて話を伺った。

 

■活動を始めたきっかけは?

大学2年生(2007年)の時、電車の中吊り広告で平和案内人第3期生の募集を知り、応募したことがきっかけです。平和活動などに関心があったというよりは、長崎が好きで、長崎に関われる、かつ大学生で時間がある時に(ガイドの)資格が取れることに惹かれ、応募を決めました。その後、案内人として活動を続けている時に、長崎市が新たに家族証言者の募集を始めることを知りました。自分の祖母の被爆体験を引き継いでいければと思い、26歳の時、証言者としての活動も始めました。

 

■家族証言者の聞き取りや講話作成の過程について

“対被爆者”というよりも“対おばあちゃん”として話を聞いていました。祖母がどれだけ本心を話してくれたか分かりませんが、被爆体験というよりも「昔あったこと」として話してくれていたように感じます。同じことを何度も繰り返し聞いて、理解を深めました。

講話については、内容の組み立て方、表現方法の工夫を重ねる中で、祖母が自身の体験を話している様子を映した動画を使用しました。実際の姿や声を届けることも大切だと思ったからです。また実践はしていませんが、自分が読んでみて「(被爆の実相や被爆者の想いが)伝わるのではないか」と考え、被爆者の手記なども取り入れています。

 

■家族証言者を始めたことへの、おばあさまの反応は?

特別に何か言われた、ということはありませんでした。以前から、私がこうした活動を行っていることは知っていたので、自然に受け止めてくれているのかもしれません。ただ、祖母が別の取材を受けた時に、「(継承者として)平和を守っていってほしいですね。」と述べており、その言葉は印象に残っています。

 

■活動への想いについて

被爆者の話や資料などを通して、悲惨さを知ってほしいという想いがあります。そして知って終わりではなく、自分たちに置き換えてみるなど、次につなげてほしいですし、その手助けを担っていければと思います。

 

■これからの展望は?

自分の活動に関わらず、被爆者の方とお話をする機会はたくさん持っていきたいと思います。祖母の被爆体験をより深くまで引き継げるようになったら、交流証言者※3としても活動できればと。個人的に関わりのある被爆者の方もいらっしゃるので、そういった方々の想いも繋いでいきたいと思っています。

 

三根さんのインタビューの中で、私が特に印象に残っているのが

「“(被爆体験を)話さなかった”ということを含めて、継承していかなければならないと思います。」

という言葉だ。被爆者の方の中には、経験したことのあまりの壮絶さから、自身の体験を一切話さない人も多い。また継承活動に尽力されている方でも、内容によっては口を閉ざされる方もいる。私にも被爆者の祖母がいるが、祖母の口から体験を聞いたことは一度もない。「話そうとしないのだから、こちらからは聞きづらいな…」とも思っていた。今回、三根さんの言葉を聞いて、継承は「体験を継ぐ」ことが全てではなく、その方の「姿を継ぐ」ことなのではないかと思った。“話さなかった”その姿を見ている、知っている、そしてその姿を伝えることも、“人(被爆者)から人(非被爆者)”だからこそできる継承の形なのだということに気付かされた。

継承の形は1つじゃない。だからこそ、様々な人とのつながりの中で、様々な可能性に気付き、輪を広げていきたいと、改めて思えた取材だった。

 

※1:平和案内人(https://www.peace-wing-n.or.jp/guide.html)

※2:家族証言者(http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/keisyo/bosyu.html)

平成28年度からは「託したいかた」と「受け継ぐかた(交流証言者)」を新たに募集を   開始し、随時募集を行っている。上記HP参照

中尾(継承活動に取り組む人々をつなぐPJ)

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「継承活動に取り組む人々をつなぐプロジェクト」ボランティア募集とこれまでの取材記事紹介

 

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