【東京】2/25(土)被爆者運動から学び合う学習懇談会 シリーズ7 「原爆で終戦」のウソと役割 を開催しました

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2月25日(土)、東京・四ツ谷「プラザエフ」で、シリーズ7回目の学習懇談会を開きました。

問題提起は吉田一人さん(長崎被爆、継承する会理事)。アメリカでも日本でも「原爆で戦争は終わった」という“原爆神話”が信じられています。吉田さんが作成した終戦前後の日本の国家中枢(天皇と軍部・政府)の動きを追った8ページもの詳細な「日録」を辿ることによって、そのウソが浮かび上がりました。

○ アメリカは原爆実験の時期にあわせてポツダム会談を1か月以上遅らせ、原爆投下命令は「ポ宣言」より一日前に出されている。「ポ宣言」は、いわば原爆投下を正当化するために出されたと言える。

○ 日本は原爆が投下されても戦争を終わらせようとはしなかった。しかも、ソ連参戦によるパニックのなかでの長崎原爆の報は一顧だにされなかった。にもかかわらず、終戦の責任を(国内情勢を表面に出さず)原爆に転嫁した。(米内光政海相、8月12日直話「原子爆弾の投下とソ連の参戦は、ある意味では天佑であると思う。国内情勢によって戦争をやめるということを、出さなくてすむからである。」)

○ この「原爆終戦」論のルーツは「終戦の詔書」にあり、これが戦後、日本政府がアメリカの核政策に追随して「核の傘」を担ぎつづけてきた根源にある。(「終戦の詔書」は、降伏はアメリカの原爆によったのだというアメリカへのメッセージ。8.17「陸海軍人に賜りたる勅語」では、「降伏の原因としてソ連の参戦だけをあげ、降伏の目的が国体護持にあることを明らかにし、戦争終結と原爆投下との因果関係については言及がない」(大江志乃夫)。これは昭和天皇の「二枚舌」と言われている。)

○ ポ宣言受諾の直前に発した駆け込み「対米抗議文」は、長崎に原爆が投下された後にもかかわらず広島原爆についてのみの抗議。しかも打った直後から歴史から抹殺された(抗議電の現物は1ページ目しか残っていない。戦後、政府は「抗議」の内容を否定し、「必ずしもそう(違法と)断定することはできない」との言明をくり返している)。

○ 米国政府の「バーンズ回答」(8.11)の解釈をめぐり一致しなかったのが急転直下、  14日の「聖断」となったトドメは、13日の夜に米機によって撒かれた1枚の小型ビラだった。(ポ宣言の全容と日本政府の「受諾」回答を掲載したこのビラが国民に知られたら軍が反乱を起こす、と急遽御前会議を開き、「聖断」によりポ宣言受諾を最終決定した)…etc.

34人の参加者たちは、「分かりやすいお話」をつうじて、「知らなかったことがたくさんある」と驚くとともに、「事実を知らないことの恐ろしさ」を痛感。原爆が戦争を終らせたと思っている人たちは少なくないが、被爆者運動はそれをくずし、原爆投下をもたらした国の戦争責任を追及してきた、それはなぜ可能だったのかを明らかにしたい、という意見も出されました。

特定非営利活動法人

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 継承交流部会

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