肥田舜太郎先生のご逝去を悼んで~ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会代表理事 岩佐幹三~

肥田舜太郎先生のご逝去を悼んで

 

 肥田先生も幽明境を異にされたのですね。人間一度この世に生を享けた以上、いずれの日にか立ち去って逝かねばならないことを知りながらも、訃報をお聞きしたことは本当に寂しいこと悲しいことです。

 先生は、私たち被爆者にとって至宝ともいえる存在の方でした。医師として、被爆者として、また人間としても、他者の追従を許さぬ人間味あふれる足跡を残して逝かれました。

 私が、先生の行動力のすばらしさに驚嘆したのは、1982年の第2回国連軍縮特別総会の時のことです。日本からの派遣代表団のメンバーとして到着後、ニューヨークのホテルで先生と同室になりました。2~3日後に先生は、「ヨーロッパでの実相普及活動に呼ばれているので、これから行ってくるよ」とおっしゃって、飛行機で現地に向かわれ、また2~3日後にはニューヨークに帰ってこられました。私が、国連総会でスピーチする山口仙二さんの付き添いで、もたもたしている間のことでした。

 このようなエネルギーは、先生が、1976年日本被団協の付属機関として開設された「原爆被爆者中央相談所」に当初から参画され、79年に理事長に就任されてからの相談活動の進め方にも示されています。『日本被団協50年史』の[特別稿]「被爆者中央相談所の活動」では、先生は、被爆者いや人間は原爆=核兵器被害といかに向き合って闘い生きていくべきかを、1988年から19年間にわたって毎年『被爆者健康ハンドブック』として発刊し続けられたことに明示されています。先生が、被爆者を、そして人間をどんなに愛していらっしゃったかの証拠だと思います。しかもそこにあることの幾つかは、先生が平生日常的に健康を維持するために実践されていたことでもあるのです。百歳までのご長寿は当然のことだと頭が下がります。

 先生は、また昨年末亡くなられた池田眞規弁護士と数年前に物故されている石田忠一橋大学名誉教授と生前に「三老会」と称する集まりを持って、放談の旅を楽しんでおられましたね。人間は、難しい物事を考えれば考えるほど「息抜きが必要だ」ということでしょうか。実は私も仲間入りさせていただいて「四老会」にして欲しかったです。

 ところでその池田さんが生前少人数の気の合った人と、私もですが、サロン的な集まりをつくって、「被爆者の願いを、人々の福音になるような言葉にまとめられないか」と、少し大げさに言うと、人類を死滅の危機から解放するような新しい時代のモラルともいうべきものについての話し合いを重ねた末に到達したのが、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の結成でした。その頃「内部被爆」の実態究明と実相普及に精力的に取り組んでおられた先生に、この会の結成の呼びかけ発起人に就任をお願いしたところ、ご快諾をいただいたばかりではなく、大江健三郎さんや吉永小百合さんといった方々にもお話をしていただきました。役員一同本当に感謝しております。結成から5年、第一段階をほぼ達成し、次へのステップを進めようとしているところです。先生にご報告できないことは残念ですが、私たちは、先生のご遺志というよりももっと大きなご遺訓をしっかりと受け止めて、頑張り続けていきます。

 どうか碧空の世界を吹きそよいでいる「千の風に乗って」私たちを見守ってください。

 ここに先生のご逝去を悼み、心からご冥福をお祈りします。合掌。

 

2017年(平成29年)3月26日

特定非営利活動法人

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

代表理事 岩佐 幹三

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