【つなぐPJ】(広島)1/1(日) 祖母、篠田恵を取材して 〜「あんた、骨の上を歩いとる」〜

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みなさん少し遅くなりましたが明けましておめでとうございます、つなぐPJのしのです!

今回は年末に東京から実家の広島に帰省して私の特によく知る被爆者、祖母の篠田恵の話を聞きに行きました。私は祖父母4人中、母方の祖母と父方の祖父母計3人が被爆者なので昔から原爆の話は話題の節々でよく聞いていましたがその中でも特に私に当時のことを語ってくれたのが恵ばあちゃんでした。

 

 

 

 

 

2017年元旦、父方の親戚一同が祖父母の家に集まって正月会をするのが恒例の行事です。玄関を入ると

「あんた帰るとこがあっていいねえ。」

祖母が笑顔で迎えてくれました。帰る場所や家族を亡くすつらい経験を若い自分に体験した祖母はこうして家族の顔を見るのが大好きです。

 

篠田家のおせち料理

篠田家のおせち料理

 

腕をふるって親戚一同で用意してくれた美味しいおせちを食べ、祖父母と私の妹、そして私の4人で祖母の家から電車で10分ほどの場所にある平和公園へ向かいました。

 

祖母は爆心地から、2.8kmにあった大芝の実家で世界で初めて落とされた原子爆弾によって被爆しました。女学校2年生(13歳)の時でした。当日広島市内にいて被爆した家族は、両親と姉3人、弟1人。祖母の父は兵隊の服を作る所である被服廠に勤め、家には祖母の母と2才半になる弟、社会人だった姉2人のうち長姉は爆心地から8キロ位離れた所の三菱工場へ、次姉は爆心地から500メートルの所の銀行へ出勤しており、三姉は女学校4年生で学校から作業場に向かっていました。

原爆が投下され、祖母は地獄へ送り出されることになります…

 

祖母の被爆体験記はこちら

【つなぐPJ】(広島)2/8(日) 祖母、篠田恵を取材して

 

平和公園を歩く

平和公園を歩く

 

 

 

平和公園は祖母の庭のようなものです。私の願いを聞き入れ7年前から語り部として証言活動を始めて、今は平和公園の隅々まで祖母は知り尽くしているようです。

 

原爆ドーム

原爆ドーム

 

 

平和の子の像

平和の子の像

 

平和公園を歩く道すがら、祖母は一緒に語り部をしている人たちがどんどん少なくなって行くことが寂しいと漏らしていました。上がる名前は私もよく知っている人。そうした語り部を続行できなくなった人たちの中には自身の体験を残している人も、残していない人もいます。私も寂しい気持ちと危機感を感じます。なんとか語っていこうと思ってくれた方々の体験を残して行く方法があれば…

 

慰霊碑に参る祖父

慰霊碑に参る祖父

 

数年前に祖父の被爆体感を初めて聞きました。壮絶な経験ですがとても祖父らしい体験なのでいつかみなさんにもお話ししますね。

 

原爆資料館前の祖父母

原爆資料館前の祖父母

 

原爆資料館本館の下は白いシートで囲ってあり、中を覗くと大きな穴と、その周りに掘り起こした土が山になっている状態でした。

妹が興味を示しました。

「何かしよるんかねえ」

「掘り出し作業しよるんよ、この下には数えきれんだけの骨がまだいっぱいあるんじゃけえ」

すかさず答える祖母。

「あんたここ(平和公園)が昔から公演じゃったと思うとるんじゃない?」

「違うん?」

「違うよね、ちょっとあんた(私のこと)教育不足じゃないんね」

私の方を見てしかめ面をする祖母に

「教育不届きでスミマセン」

と八の字の眉間に向かって返しました。

「はっはっはっここはねえ、ここ全部家じゃった。スズラン燈が点いて映画館があり芝居小屋があり県病院があり市役所がありここいらはものすごい賑やかじゃった。広島で一番賑やかなとこじゃったんよ。それがバーンっと一気に焼けてここにおった人らは骨もきちんと残らんほどに焼けてどうにもならんから仕方無う土を盛ったんよ。」

平和公園の敷地内に当時慈仙寺というお寺がありました。その墓石が残してあるのですが、そこだけは当時の地面の高さのままなので、どのくらい公園一帯が厚く土が盛られているのかわかるでしょう。

 

被爆した墓石(慈仙寺跡の墓石)

http://www.hiroshima-navi.or.jp/sightseeing/hibaku_ireihi/ireihi/4331.php

 

 

後日祖父母の家を訪れて当時の話を聞きました。

 

祖母と家族の罹災地図

祖母と家族の罹災地図

 

祖母が被爆した実家の見取り図

祖母が被爆した実家の見取り図

 

祖母は自身の被爆した家の見取り図を大きな紙に書き、当時の様子などを私と、そして一緒に訪れた私の友人に説明してくれました。一緒に訪れた友人の祖母も被爆者。地図を見ながら私の祖母と彼の祖母が被爆した位置を確認したりしました。

 

最後に祖母は写真を何枚か見せてくれました。被爆数年後の写真です。

家族を亡くし、家も亡くしそれでも逞しく笑顔で写っている祖母に勇気付けられたような気がします。

被爆数年後の祖母

被爆数年後の祖母

 

昔の写真と祖母

昔の写真と祖母

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笑顔の祖母の写真の下にある写真にはノーモア・ヒロシマと書かれていました。

 

 

しの(継承活動に取り組み人々をつなぐプロジェクト)

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