【東京】11/12 被爆者運動に学び合う学習懇談会《シリーズ6》「被爆者運動と裁判闘争」~裁判の到達点と制度の矛盾を明らかに

被爆者運動に学び合うシリーズ6回目の学習懇談会は11月12日、四ツ谷のプラザエフで開きました。

「被爆者運動と裁判闘争」をテーマに中川重徳弁護士(当会理事)が問題提起。4名の被爆者が国を提訴した「下田裁判」(1963年東京地裁が原告の訴えを却下したにもかかわらず、判決理由で原爆投下は国際法違反と明示)に始まり、原爆症認定を争った桑原、石田、松谷訴訟から被団協の集団訴訟、現在もつづくノーモア・ヒバクシャ訴訟までの歩みをふり返りながら、原爆被害を小さくみせたい国に対して被爆者の人生をかけた証言とたたかいが裁判官を動かし勝利をかちとってきた、と述べました。

19人の参加者(うち被爆者7人)による討議では、まず、原爆裁判の東京地裁判決の評価をめぐって意見が出されました。判決「理由」は、原爆投下の国際法違反の指摘にとどまらず、「戦争災害に対しては当然に結果責任に基く国家補償の問題が生ずる」、「自らの権限と責任において開始した戦争により国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追いこんだ」国家(被告)が「とうてい一般災害の比ではない」甚大な被害に対し、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しない」と指摘。「それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である」として、終戦後数十年を経て高度の経済成長を遂げながら、そうした立法や施策を講じない「政治の貧困」を嘆かざるをえない、と述べたくだりが、国家補償制度を求めるその後の運動に大きな意味をもったことが明らかにされました。

議論はさらに、原爆症の認定をめぐる訴訟が被爆者の願いである国家補償制度の実現にどう関連するのかをめぐって行われました。

○ 裁判は多くの原告の勝訴をかちとるだけでなく、放射線障害を究明し法の解釈・適用を広げる成果をあげてきた。しかし、そこで争われたのは放射線被害という原爆被害の一部でしかない。最高裁で勝利した松谷さんの場合でも、松谷さんが本当に願っていたことは、2キロを超えても放射線の影響があるかどうかではなく、爆風で飛んできた瓦によって半身不随になった、その被害を国の責任で償ってほしいということだった。

○ 裁判をたたかうなかで本当に裁判官を動かしたのは、放射線障害ではなかった。被爆者たちが戦後どのような歩みをしてきたのか、それを裁判官が実感してこの人は救われるべきだと動かされている。しかし、裁判のゴールはやはり、認定の要件を満たすかどうかになる。原告たちは必ずしもそれを目的に裁判をたたかっていたわけではないが、結果が10何万円かの医療特別手当となると、周りからそれが目的と誤解されてしまう。

○ たとえこの裁判に勝って認定されたとしても、それは、現行法の枠内でのたたかいだ。裁判のなかでは現行法が「援護法」と言われており、周囲ではあたかも援護法ができてよかったと誤解している人たちもいるが、これは被団協の求めて来た援護法ではない。裁判をつうじて、現行の「援護に関する法律」が戦争を遂行した国の責任で原爆被害の全体を償うものではない、という制度の限界と矛盾も明らかになってきた。その点をさらに明確に示していくことが必要だ。

○ 空襲被害をめぐる裁判で、裁判所はくり返し国会が法律をつくればよいことだと指摘している。原爆被害者や沖縄戦の被害者など民間人の戦争被害を償う立法を国会に求める戦争被害者の連帯した運動が必要だろう。

この日の議論では、孫振斗訴訟のような手帳問題をめぐる裁判や在外被爆者の裁判、基本懇の「受忍」論をはね返す原爆と戦争を裁く国民法廷運動、さらには、国家補償論についての日弁連など法律家たちのとりくみに詳しくふれることは出来ませんでした。被爆者運動と法律家が、今後、どのような協力関係をつくりだしていくのか、忌憚のない意見交換も求められていると言えそうです。

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