【つなぐPJ】(神奈川)10/02(日) 第50回 神奈川県原爆死没者慰霊式2016年追悼のつどいに参加して 〜「400分の1の命」〜

みなさんこんにちは、つなぐPJのしのです!

6月の埼玉8月の栃木、長崎に続きこの度は神奈川県の原爆死没者慰霊式に参加してきました。

日時:2016年10月2日(日)10時~12時

会場:鎌倉市 大船観音寺境内 原爆慰霊碑前

主催:神奈川県原爆被災者の会

慰霊祭   10時~10時30分

開式

司会 木本 征男さん

黙祷

合祀者名簿奉読……西 純子さん

導師入場……大船観音寺住職

読経

献水…………網崎 万喜男さん、村山 恵子さん

献花…………遺族代表 廣石 嘉乃さん 来賓 遺族・一般

導師退場

閉式

追悼のつどい 10時~10時30分

開会

司会 丸山 進さん

主催者挨拶ならびに追悼のことば 神奈川県原爆被災者の会 中村 雄子会長

来賓追悼のことば

来賓紹介

メッセージ披露

遺族代表挨拶 居森 公照さん

折鶴献納

歌と演奏 吉川 敏男さん

「かぞえうた」「BELIEVE」「人間の未来を信じているから」

全員で合唱 「原爆許すまじ」

閉会

■慰霊式への参加

神奈川県JR大船駅を降りると小高い雑木林からにゅっと頭を突き出した白い巨大な観音様が見えます。

彼女をめがけてまっすぐ川を渡って足を進め、雑木林にぐるりと半周巻きつけたような傾斜のきつい坂を登ると駅からは見えなかった山門が口を開いて出迎えてくれました。山門の右の柱には白地に黒い文字で記された「2016年度「追悼のつどい」。

 

山門

山門

開会の1時間ほど前に到着したにも関わらず会場にはすでに受付けの方以外の参列者の方もちらほら見え、3mほどの慰霊碑の前に並べられた席に座っている方は隣同士でおしゃべりをしているような穏やかな雰囲気の会場でした。

神奈川県原爆死没者慰霊碑と祭壇

神奈川県原爆死没者慰霊碑と祭壇

神奈川県原爆被災者の会事務局長の東さんも暖かく出迎えてくださり挨拶を交わして会場を改めて見渡しました。

小高い丘の上のお寺だというのにざっと見ただけでテントは3張、椅子は160席分ほどあり平均年齢が80歳を超えた被爆者の方々やその関係者がこんなに来れるのだろうかというのが最初の印象でした。

しかしその疑問は深謀遠慮に終わります。開会が迫った10時前には席はほとんど黒い服で埋まり、聞くところではそう参加者は143名に上ったようです。被爆から71年経った今でも150名近く参加者を募れる神奈川県の取り組みの力強さに驚かされました。

■二人の被爆者

さて、開会を待つ間お話を聞かせてくださった2名の長崎の被爆者さんがいます。2方は私の席の後ろに座っていたので私が身を半分ひねって顔を合わせると最初は不思議そうにしていましたが、私の祖父母が被爆者であることを伝えると「あぁ」と納得したようにご自身の経験を語ってくださいました。

右 富永国人さん(被爆当時3歳) 左 實本勝恵さん(被爆当時10歳)

右 富永国人さん(被爆当時3歳)
左 實本勝恵さん(被爆当時10歳)

長崎の爆心地から2kmの所で被爆した實本さんは当時を振り返り言います。

「戦争は嫌だ。」

その短い言葉に凝縮された想いは計り知れません。

2人は口を揃えて

「若い人たちに伝えたいことは2度とこういうのを繰り返したくないということ。あんな残酷な死に方をして…2度としてはいけない。」

と繰り返しおっしゃっていました。

■400分の1の命

「あなた広島出身?」

私の左となりには空席が2つあり、その向こうに座っていた背の高い男性がおもむろにこちらを向きました。歳の頃は私の祖父くらいでしょうか。

大学まで広島にいて東京に出てきたことを伝えると居森ですと名乗った男性は言います。

「本川小学校って知ってる?」

知ってますよ、広島にいた頃はたまに小学校の前を通っていたことを伝えると男性は間髪入れずに口を開きました。

「私の妻の清子は本川小学校で唯一生き残ったの」

「え!」

何年か前に読んだまま記憶に埋もれていたとある新聞の記事が脳裏に浮き上がります。それは広島の爆心地から400mほどのところにあった本川小学校での悲劇と奇跡について書いたもの。8月6日のその日、約400名ほどいた生徒はたった1人の生徒を残して全員が亡くなったという話でした。

「前に新聞で読んだことありますよ!下駄箱のところで被爆して生き残った方ですよね。新聞にはお互いが助け合ってここまで来たって病院で手をつないだ写真が載ってましたよね。」

記憶を頼りに繰り出す私の言葉にうんうんと少し照れたように頷く居森さん。数年前のことではっきりした顔も名前も覚えてはいませんでしたが、それでも一度見たことのある方だと思うとなんだか急に親しみが深くなるように感じました。

残念なことに半年前に奇跡の生還を果たした居森清子さんは他界されたということでした。そうした経緯もあってか遺族代表挨拶では居森さんの名前が呼ばれ、彼がマイクの前に立ち訥々と妻が願った平和への思い、伝えていくことの大切さを言葉にします。

遺族代表挨拶をする居森公照さん

遺族代表挨拶をする居森公照さん

妻の清子さんの思い出の話ではまなじりに涙を溜めて言葉を震わせる場面もあり、それでも歯を食いしばって言葉を紡ぐ彼の姿は被爆者であり妻である清子さんに夫として最後まで真剣に向き合ってきた歳月を忍ばせていました。

閉会後には一人一つお弁当をいただきました。

そのお弁当を持って居森さんに妻・清子さんのことをもっと聞かせて欲しいとお願いすると快く承諾していただいたのでお寺から町内を一望できるあばら屋の長椅子に並んで腰を下ろしました。

カバンから取り出された何枚かの写真は歳月を順を追って重ねた夫婦の軌跡でした。

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居森公照さんと生前の清子さん

居森公照さんと生前の清子さん

どの写真も仲睦まじく肩を寄せ合ったり腕を組んだり、その中には清子さんが小学生へ向けて証言活動をしている写真もありました。

「清子の語り部をしたいって方がわざわざ横浜に来たり、今も本川小学校では毎年6年生を中心に「清子劇」って劇をやってるんですよ」

「清子の話が今年絵本になるんです。」

「清子の体験を英訳してカナダや国連に送ったこともあるんですよ。」

清子、清子と妻の話をする居森さんはとても嬉しそうで、一緒に生きてきた彼女の顔も浮かぶようでした。彼女の奇跡的な体験もそうですが、ここまで多くの人に彼女の話が伝わっているのはひとえに夫の公照さんの支えもあったからだろうと思いました。

また彼自身も子供時代に戦争を体験し、機銃掃射をされたこと、いつもお腹が減っていたこと、横浜で清子さんと出会ったこと…貴重なお話を聞かせていただきました。

■原爆二世の会

「あら〜被爆も三世の時代になるのね〜!」

「そりゃそうよ」

ひときわ明るい声で受付をしてくださった神奈川県原爆被災者の会 2世支部の門川さんをはじめ2世の皆さんも暖かく迎えてくださいました。

神奈川の2世の方々はとても積極的で、式の終わった後も皆さんで集まってこれからのことを話し合っていました。

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東京とも協力してできることがあればと前向きなお話ができました。

帰路に着いて駅からもう一度巨大な観音様を見上げました。来年もここで慰霊式は開催されるのでしょう。

参加したことのない方が参加する機会がさらに増えることを願います。

しの(継承活動に取り組む人々をつなぐPJ)

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