【つなぐPJ】(東京)8/27(土) 被爆者との交流会 〜被爆者の証言と「継承」を考える〜

こんにちは、つなぐプロジェクトのしのです。

NPO法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会が募集した参加型デジタル・アーカイブ制作のためのクラウドファンディングへご協力いただいた方への返礼の企画(一般の方も参加いただけるオープン企画)として8月27日に都内四ツ谷で被爆者の証言を聞き継承について考える会が開催され、大学生から社会人、被爆者と幅広い年齢層の男女20名が一堂に会しました。

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*今回は東日本の方が対象でした。西日本の方については別途、被爆者との交流会の開催を予定しています。

プログラムは下記の通りです。

13:30 開会

13:35 継承する会の紹介

14:00 被爆者の証言

14;45 ディスカッション

15:00 継承する会の取り組みの紹介

15:50 まとめと閉会挨拶

 

■13:30 開会

当団体の取り組みや今回集まった趣旨や目的の共有。20名と少人数だったので軽く会場に集まった皆さんの自己紹介をしました。

 

■13:35 継承する会の紹介

継承する会の岡山理事から、継承する会の紹介とクラウドファンディングで資金を募集し制作を進めている「参加型デジタルアーカイブ」の紹介と今後の予定の発表がありました。

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■14:00 被爆者の証言

被爆当時16歳だった岩佐幹三さんがその日のこと、そしてその後の人生を語ってくださいました。

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あの年、昭和20年、東京、大阪、名古屋をはじめ全国の大中小都市が次々と米軍機によって焼土となり、沖縄も陥落していた。日本の戦争する余力は尽きていた。それでも国は戦争を継続し続けていた。そして8月6日がやってきた。あの日は、動員中の工場が電休日だった。8時15分少し前、僕は、自宅(広島市富士見町=爆心から1.2キロ)の庭にいた。飛行機の爆音が聞こえて間もなく、激しい爆風の衝撃で、地面にたたきつけられた。そこはやわらかい畑地だったから大した傷も負わなかった。50センチほど右にいたら庭石にたたきつけられて即死だったろう。家の前のバス通りをはさんだ向かいの家の屋根の陰になって、奇跡的にやけども負わなかった。一瞬にして崩壊した広島の町並み。母さんは、崩れ落ちた家の下敷きになっていた。「母さん!」と叫ぶと、屋根の下から「ここよ」という声が聞こえた。「ああ良かった。生きていてくれたんだ」とその瞬間は安堵の胸をなでおろしたんだ。しかしその喜びも束の間だった。屋根板をはがして逆立ちをするように顔を突っ込んだ目の前には、家のコンクリートの土台の上に大きな梁が重なって、行く手をはばんでいた。わずかな隙間から1メートルほど先に仰向けに倒れている母さんの姿が見えた。つむった目のあたりから血が流れていた。どこかをひどくうちつけたのか、何を話しても目を開けず、顔をこちらに向けようともしなかった。「こっちからはもう入れんのよ。そっちで動けんの」と聞くと、「左の肩の上を押さえている物をどけてくれんと動けんのよ」という答えが返ってきた。別の方から掘り出したが、なかなか進まない。そのうちに爆風の吹き返しの火事嵐がものすごい勢いで迫ってきた。火の粉がふりかかってくる。気が気でない。「母さん、駄目だよ。火事の火が近づいてきたよ、こっちからはもう側まで行けんよ」悲鳴に近い叫び声をあげた。外にいる僕でさえ何が起こったかわからないのだ。まして家の下敷きになって周りが見えない真っ暗な中では不安というよりも恐怖心で一杯だったろうね。でも母さんは、「そんなら早よう逃げんさい」と言ってくれた。それなのに気も動転していた僕は、「母さん。ごめんね。父さんの所へ先に行っていてね。僕も、アメリカの軍艦に体当たりして、後から行くからね」と言ったんだ。何という不遜な親不孝の言葉だろう。しかもその後に「好ちゃんが大きくなったら、いい所へお嫁にやるからね」と言ったんだよね。すぐ後から行くと言いながら、妹が大きくなるまで生きると言ったんだ。死別の際に母さんを裏切る言葉を告げたんだよ。そして80歳近くまで生き延びているんだよ。母さんへの罪の意識は一生だいていくよ。母さんは、死を覚悟したのか「般若心経」を唱えだしたね。僕は、その声に後ろ髪を引かれながら、原爆の業火で生きながら焼き殺される母さんを見殺しにして逃げたんだ。2~3日後、家の焼けあとに積もった灰の中を探したら、母さんが倒れていた場所から遺体らしいものを見つけ出すことができた。それが母さんだったんだ。でもそれは人間の姿ではなかったよ。母さんは小柄な女性だった。まるでこどものマネキン人形にコールタールを塗って焼いたような油でずるずるした物体だった。母さんは、あんな姿で殺されたんだね。人間としてではなく、「モノ」として殺されたんだ。悔しい。本当に悔しい。

 

「ヒバクシャからの手紙」より抜粋

http://cgi2.nhk.or.jp/no-more-hibakusha/tegami.cgi?letter=2008296

 

71年経った今でも母の最期に投げかけた「生」と「死」の相対する言葉の矛盾に苦しめられ続けていて、現在はガンを抱えてそれでも「ヒバクシャを再び作らせない。傷が癒えることは一生ないが、これがヒバクシャとなった僕たちの戦いだ。」と力強く締めくくりました。

 

その後会場から出た質問で、「経験のない人が、被爆者の経験を伝承することをどのように思ってますか。また、継承に取り組むときに、これだけは忘れないでほしい、考えてほしいということはありますか。」

という質問に対し、岩佐さんと被爆者である吉田さんは「自分を大切にすること。皆さんの問題なんです。被爆者という人類はいない。僕らは“被爆者”という運命を背負わされた人間なんだ。その時、その後、何でヒロシマ・ナガサキは起こったのかを知り、過去の問題ではなく未来の問題としてこだわってほしい。」と語りました。

 

■14;45 ディスカッション

事前にアンケート用紙で集計した質問を中心にディスカッションを行いました。

 

・継承者の裾野を広げるために、今必要なことは何か考えてみたく思っています。

・今現在、日本でも世界でも「核兵器の悲惨さはわかるけれど、国を守るためには核の抑止力が必要なんだ。」という考えの方が、表に出てきているように感じます。ですから、どうすれば核兵器の廃絶を、もっと多くの人の心に届くように訴えることができるのかを、ディスカッションで話し合ってみたいです。これについては、私はまだ自分の考えがまとまってはいませんが、核兵器の悲惨さを伝えることだけでは、まだ何か足りないのではないかと感じています。曖昧ですみません。

・被爆者の受け継ぎ手として、一人でも多くの方に、ノーモアヒバクシャを訴えていきたいです。特に若い世代へ伝えるときに考えなくてはならないことや、どんなアプローチがあるのでしょうか。

・継承に取り組んでいる方々には、どのような思い出取り組むようになったのか、ご自身で気をつけていること、大切な心構えなどがあれば、お伺いしたい。

 

20歳から87歳まで、自身の環境や時代を踏まえた様々な考えが飛び出し活発な意見交換がなされました。

 

■15:00 継承する会の取り組みの紹介

当会が行っている取り組みの紹介をしました。

 

①被爆者に実際に話を聞きに行き証言を遺していく「被爆70周年、被爆者として言いのこしたいこと」の調査について。

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②被爆者と継承者をつなげる「つなぐプロジェクト」について。

③【連続企画】「ヒロシマ・ナガサキの継承を考える(仮題)」について

以上の紹介後、閉会となりました。

過去を知り、未来へつなげるということは容易ではありませんが、しかし大切なことです。

特に戦後71年の今、こうして被爆者の方々にお話を伺える機会も年をおうごとに少なくなっています。今回の取り組も全力でやっていますが、まだまだ人手不足という事実も浮き彫りになりました。

少しでも多くの方がこの問題を知って、考えるきっかけになればそれが大きな力になるでしょう。少しでも興味をお持ちの方はお気軽にご連絡くださいね。

【連絡先】

NPO法人 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

TEL/FAX 03-5216-7757

Email   hironaga8689@gmail.com

 

 

しの(継承活動に取り組む人々をつなぐPJ)

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