【つなぐPJ】(埼玉)7/31(日) 第31回 埼玉原爆被死没者慰霊式に参加して~「71年目のヒバクシャ」~

埼玉県にどうしてこんなに多くの被爆者が?

私は広島の市内に生まれ、当たり前のように被爆者の方が周りにいました。

数年前東京に出てきて、あまり周囲の人が原爆について知らないということに予想はしていながら

実情を目の当たりにしては首を傾げたものでした。

今回埼玉で慰霊式が執り行われていることを知り、始めての参列。

会場は埼玉の浦和駅を降りてすぐの浦和コミュニティーセンター多目的ホールという場所。

会場に入るとまず舞台の中央に置かれた真っ白い慰霊碑に目がいきました。続いてその奥に厳かに並んだ千羽鶴。

被爆地ではない埼玉という地でも参列者は250人ほどいらっしゃいました。

慰霊式の様子

慰霊式の様子

式は合唱団の方の歌、「青い空は」と共に開会しました。

舞台上の机に置かれた鉢の中で燃えている炎が、被爆地広島の原爆の残り火を絶やさず大切にしてきたものであることが説明され、続いて参列者が次々と挨拶していきます。

その後、折り鶴を添えた献花、届けられたメッセージの朗読と会が進んでいきました。

そこまでは過去を振り返り死者や遺族を悼むという趣旨でしたが、そのあと若者による被爆体験記の朗読が始まった瞬間、私は深く感銘を受けました。

当時広島と長崎で何が起こったのか、静かな会場で読み上げられる朗読には、その時代に生きていない私の眼の前にも当時の景色が浮かんでくるような臨場感を与えます。

その時代を体験していない人へ当時のことを伝えていきたいという、主催者の方々の強い意志を感じました。

会の閉会後、長崎で被爆され現在は日本被団協事務局長をされている田中煕巳さんと、軍医をしていた広島で被爆し、その後被爆者の実態の解明、支援に尽力した肥田舜太郎さんとお話しする機会を得ました。

お二人とも私の質問に笑顔で応じてくださいました。

<田中煕巳さんのお話>

なぜ埼玉にこんなに多く被爆者が?という私の質問に対し、田中さんの答えは、

「広島、長崎は元々軍関係の施設が多く、埼玉から出兵して被爆し、戻ってきた被爆者の方が多いんです」

というもの。私にとってはまさに目から鱗でした。

これまで広島に住んで被爆証言など聞く機会を幾度となくいただいてきましたが、その中に広島県外の方はほとんどいらっしゃらなかったので、そういった理由で全国に被爆された方がいることを考えたことがなかったからです。

さらに田中さんは、

「今でも行方の知れない方が多くいらっしゃる」

ということをお話しくださいました。平和記念公園に引き取り手のない、身元のわからない遺骨が多く眠っていることは知っていましたが、こうして離れた土地で家族に見つけられることもなく亡くなった方々も多かったのだと思います。

そんな田中さんは、続けて埼玉で慰霊式が開かれるようになった経緯についても次のように教えてくださいました。

「戦後しばらくして被爆者手帳が発行され、埼玉県内の被爆者の実態が明らかになってきました。

40年前に県内の別所沼公園に慰霊碑を建立し、その時から毎年慰霊碑の前で慰霊式を開催する運びとなったのです。しかし戦後70年、原爆を生き延びた方々も高齢化しこの時期の野外での慰霊式は難しいと判断したため屋内に移しました。」

そして、若い世代に伝えたいことは?という最後の問いに対して、田中さんは

「核のない平和を被爆者の生き様と共に、未来永劫伝えていきたい。人類は原爆の作り方は知っていますが、私たちの実態を知ることでそれを作ってはいけないことを知らせていきたい」

と力強く話してくださいました。

<肥田舜太郎さんの話>

image1

肥田舜太郎先生と

次にお話を伺ったのは、被爆医師として知られる肥田舜太郎さんです。

自身も被爆しながら医師としての対応を冷静に執り行ったというエピソードが印象的だった私は、当時のことについて、なぜそんなに冷静でいられたのか、と質問したのです。

それに対して、肥田さんの答えは、

「私は家族を失わなかったからかな」

との一言。じゃあ家族が亡くなっていたら対応も違っていましたか?と思わず聞いてしまった私のちょっと踏み込んだ質問にも、

「多少はあるでしょう。」

と、にこにこと答える肥田さんの穏やかな顔は、私の心に強い印象を残しました。

原爆が投下され、これまでの環境も景色も一変したそんな大惨事の中で、判断を変えるのは家族を想う心…。今まで冷静な方だと思っていましたが、被爆者や軍医というカテゴリではなく、人間としての肥田さんに触れたような気がしました。

慰霊式レポート、いかがだったでしょうか。埼玉慰霊式は毎年7月の最終日曜日に開催されます。

興味を持たれた方はもちろんですが、今まで興味を持たれなかった方こそぜひ足を運んでみてみてはいかがでしょうか。その場にでしか得られないものが、必ずあると思いますよ!

しの(ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会)

「継承活動に取り組む人々をつなぐプロジェクト」についてはこちらをご参照ください。

コメントを残す