2015/12/19「ヒロシマ・ナガサキを語り受け継ぐつどい」での川崎哲氏の講演(要旨)

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川崎 哲 氏 「ヒロシマ・ナガサキを伝えるということ」

2015年12月19日 於 ヒロシマ・ナガサキを語り受け継ぐつどい

今日私は、ピースボートやICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の活動を通じて国際的にヒロシマ・ナガサキのメッセージを発信することに関わっている立場から、「今日の世界の中でヒロシマ・ナガサキの声をどのように伝えられるのか」についてお話したいと思います。

  1. 世界の核をめぐる情勢

ICANは2007年につくられた国際的なNGOの連合体です。現在90カ国、420を超える団体が参加しており、私はその執行部におります。

この数年の間に核兵器廃絶に関わる国際的に大きな動きがありました。

2013年から2014年にかけて3回、核の非人道性に関する国際会議が開催され、そこでの被爆者の発言や議論を通して「核兵器は非人道的であって禁止が必要だ」「核兵器禁止条約を一緒につくろう」という機運が盛り上がってきました。

核の非人道性に関する国際会議(メキシコ会議)の被爆者セッションで発言するサーロー節子さん(カナダ在住 広島被爆)

 

2015年前半のNPT再検討会議を経て、2015年10~11月の国連総会第1委員会おいて「このように非人道的な核兵器を、どのように法的に規制していくか」に関して、「禁止に向って動こうと誓約する」「核のない世界のための法的措置について議論をする作業部会を来年国連に設置する」という二つの決議が出され、どちらも130前後の国々が賛成しました。日本は残念ながら棄権でした。

この決議によって、作業部会をつくり2016年に会議を開いて議論をすることになりました。その報告は同年秋の国連総会に提出されます。つまり2016年には、これまでの2年間にわたる核の非人道性に関する議論を、核兵器の禁止の議論に発展させる舞台がつくられます。

作業部会に多くの国が参加し、核兵器の禁止に向けた議論を進めてもらうことが大きな課題になります。

  1. 世界でヒロシマ・ナガサキの体験を伝えていくこと

ピースボート「ヒバクシャ地球一周証言の航海」は2008年に始まり、過去8回で160人を超える被爆者が世界を訪問してきました。証言と併せて、政治家や政府の方々にも働きかけをしております。

ギリシャ大統領府で「核兵器の禁止に向けて賛成国となってほしい」とアピール

ギリシャ大統領府で「核兵器の禁止に向けて賛成国となってほしい」とアピール

 

この活動を通して感じてきたことをエピソードと共にご紹介します。

1)対話の重要性 

5年前、シンガポールの高校で200人近い高校生を前に被爆証言をしました。話してくださったのは、在韓被爆者で、在韓被爆者の権利の問題に取り組んでこられた郭貴勲(カク・キフン)さんです。

シンガポールの高校での被爆証言(2010年)

シンガポールの高校での被爆証言(2010年)

この際、証言後の質問で高校生が「本当にご苦労なさいましたね。しかし、あなたは韓国人ですよね。原爆が落ちて良かったと思いませんか」と発言し、会場から笑い声に似た声がどっと出たんです。思い返せばシンガポールも1942年から1945年まで日本の支配下に置かれていた。あからさまな質問に周りの若者もちょっと笑ってしまった、そういう空気だったと思うんです。

その時に郭貴勲さんはこう答えたんです。「良かったと思いました。こんなにひどい目にあったけれども、これで戦争が終わるし自分たちは解放される、その時はそう思った。だけど、その時自分の負った苦しみだけではなく、周りの人たちがひどい目にあっている様を数週間、数カ月と見ていく中で、こういうことは二度とあってはいけないんだと思うようになってきた」と。するとシンガポールの高校生たちも頷いてくれました。

「国籍に関係なく、原爆投下というものは許されないもの」という結論だけが題目として出されていたならば、高校生たちとはわかり合えない点もあったと思うんですね。こういう対話の中に、近年こんがらがってきている東アジアの歴史問題を紐解いていく過程があるのかなと感じました。

2)被ばくに対する国際的な認識と日本人の感覚とのズレ

二つ目のエピソードは、2011年1~2月に被爆者の皆さん、長崎の高校生などと一緒に太平洋のタヒチに行った時のことです。

タヒチを訪れた被爆者と長崎の高校生(2011年)

タヒチを訪れた被爆者と長崎の高校生(2011年)

タヒチ辺りでは200回近い核実験が行われました。科学者によると、周辺の環礁には穴がたくさん開いており、その穴の中に核実験の核物質が残っていて、その穴が崩壊するようなことがあると津波が発生して、放射性物質を伴った津波が島を襲ってくる危険性があるそうです。

そこで島民は被爆者たちに「仮に今、津波で放射能汚染が起きたら、どういうふうに逃げたり解決すればよいのか。皆さんは経験があるからわかるだろう。それを教えてくれ」と言います。それは誰もわからないわけです。

その翌月、東日本大地震が起きて、津波が起きて、原発事故が起きましたが、こういう事態にどう対応すればよいかわからない。日本は被爆国と言いながら国全体、社会全体として被ばくに備えるという意識はありませんでした。

一方、国際会議で核の非人道性を議論する時には「今日使われたらどうなるか」とよく言われます。仮にインドとパキスタンの間で核戦争が起きた場合、両国で多数の死者、放射線被害が現れるのに限らず、核爆発に伴う塵や埃が大気圏を覆って気温低下や降水量減少をもたらし、世界中で10、20億人が飢餓に瀕するだろうと言われています。これは大変な問題だと思う反面、日本から来た者としては、「過去のことはどう活かせばよいのか」ということをいつも感じていました。

日本の「過去をどう活かすか」に対して、核実験の被害をつい最近まで受けていたタヒチの島の人たちは「今後被爆したらどうしよう」と真剣に考えていた。私は両者の間に大きなズレを感じていて、この問題はまだ解けないでいるところなんです。

3)「継承者」に求められること 

こうした活動をしながら私たちが大事にしているのは、若い世代の役割です。「ユース非核特使」と言っています。船の上や寄港地で、基本認識が違う国の人たちにどうすればヒロシマ・ナガサキを伝えていけるのか。理屈やロジックも必要だと思いますけれど、芸術的なことも必要です。

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演劇の経験・技術を活かして伝える

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若い人たちによる朗読劇の様子

また、被爆の当事者ではない世代の人たちが何かを伝えていく際に、被爆者の話をそのままコピー&ペーストすることはできませんし、それを志向すべきでもありません。これからの世代は「被害を全体的に捉えること」「歴史的な文脈をきちんと理解して伝えられるようになっていくこと」「今日の核問題とのつながりを理解して話すこと」の三つが求められており、こうした方法論がつくられていくべきではないかと思っております。もちろん伝えるにはプレゼンテーション能力が必要ですが、そういうことに関心を持っている若い世代が増えていると思います。

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「継承者」に求められるもの

 

  1. 戦後70年を経て、ヒロシマ・ナガサキを伝えていくこと

1)「戦後70年」の意味

2014年、軍縮大使の佐野さんの発言が批判されました。オーストリアで開かれた核の非人道性に関する国際会議の「核戦争では非人道的な被害が生れ、人道的な救援はしようがない」という議論の中で、あえて手を挙げて「救援が不可能だというのは悲観的過ぎる」と言ったのです。

軍縮議論では「救援がまったく不可能であるならば、そのようなものは非人道的で、手もつけられないから禁止すべきだ」という話になるんですが、佐野さんの発言は「仮に核戦争があったとしても救援はできるよ」という方向にあったことが大きな問題です。

確かに理屈では、救援はしたほうが良いに決まっている。ですが私自身がそう感じないのは、被爆者の方々とお付き合いをしてきたからだと思うんです。ほとんどの被爆者が証言の中で口を合わせたかのように、誰かしら見殺しにしてきた話をなさる。「本当に救いたくても救えなかった。そのことがあるから今、語っているんだ」と。こうした話を聞くと「救えるんだったら救いましょう」という言葉は出てこないんですよ。だから、やはり日本は「救えなかったということをどうするんですか」ということを問わなければならない。このような当たり前の精神をいかに伝えられるか。

佐野さんの発言は、彼の個人的な問題を越えて、戦後70年経って原爆体験が薄らぐどころか、本当に書物の世界のことになってしまっているのだと思うんです。70年とはそういう時間です。

2)原点「ノーモア・ヒバクシャ ノーモア・ウォー」を見据えた取り組みの重要性

NPT会議でも国連総会でも、中国政府が「ヒロシマ・ナガサキを言うんだったら南京はどうなるんだ」と日本の出す決議に反対するという動きが出ています。これは日中両政府間の政治的なゲームの中のことですから、あまりに真面目に直対応すべき話ではないと思うんです。

ですが、日本では「中国は何を言うか!我が日本はヒロシマ・ナガサキで…」との言論が出てきています。ヒロシマ・ナガサキというシンボルが、プチ・ナショナリズムを鼓舞するものとして使われる時代が、残念ながらこれから始まると思います。

今日会場にいらっしゃる皆さんは、「ヒロシマ・ナガサキを継承する」ということは、一方で「核兵器廃絶」であり、もう一方で「世界恒久平和」、すなわち「ノーモア・ヒバクシャ ノーモア・ウォー」と発信し続けてきました。この原点をもう一度、繰り返して言っていくことが大切です。「ヒロシマ・ナガサキのメッセージは、報復ではなく核兵器廃絶なんだよ。戦争は繰り返してはいけないんだよ」と。

政治情勢や政権の動き、政権に追随するメディアの動きもあり、その流れで日本がヒロシマ・ナガサキを語り始めてしまったら、先ほどのタヒチの話し然り、シンガポールの話し然り、世界に伝わるメッセージにはなっていかないと思っております。

(終わり)

 文責 特定非営利活動法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

 

 

 

 

 

 

One Comment

  1. コメントを入力私は現在千葉県船橋市に在住していますが広島県東部に所在する神石郡を郷里とする者です。
    そして川崎哲氏の「ヒロシマ・ナガサキを伝えるということ」いう事に関しても非常に良い事だと思います。
    その中において私の郷里である神石郡はあまり知られてはいませんが入市被爆者を多く出しているところでもあります。またこの事は井伏鱒二氏の「黒い雨」やその作品のモデルとなった重松静馬氏の「重松日記(被爆日記)」あるいは沢田 直二氏の「一握乃灰 甲神部隊始末書 (原爆シリーズ)」などでも知られているのですが放射性降下物などにより晩発性の疾病に侵され後年に発病され尊い命が失われてもいます。
    このような原爆(核)による犠牲は風化させないためにも伝え続ける事こそが最も重要だと思います。

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